第三回 三人のコラム(テーマ 雨)

 

 

 

 

⚪︎伊藤先生的雑感⚪︎

雨といえばいつも考えるのは、アメリカ人はなかなか傘をささない、ということです。
別に統計があるわけではないのですが、アメリカに留学していた頃、そのような印象を強く持ちました。例えば、少しの雨の時に、パーカーのフードや小走り移動で対応する人が多いです。まあこれは分かります。なかなか傘をささないというのは、その程度のものではありません。結構な大粒の雨が降っていて、これは傘がいるなという時でも、傘をさしている人の方が少ないのです。みんなシャカシャカした感じの服(合羽ではない)を羽織っていて、これがあるからOK、みたいな感じで歩いていたように記憶しています。一緒に留学していた友達にも話して共感を得られたので、信憑性は高いです。
羽織るという話でいえば、真冬の寒い日に、厚手の上着を着ているけど脱いだらTシャツ一枚、というスタイルの人もちょくちょく見かけました。これもやはり、上着があるからOK、みたいな感じでした。そういった光景を目にして、アメリカの人は上着を過度に信頼してるんだろうか、と当時は思っていました。
何事においてもレッテル貼りのようなことはしたくありませんが、もし今後アメリカで雨に降られる機会があれば、注目してみてください。

 

▪️ソーシキ博士の教えてちょーだい!▪️

天気予報では「良い天気」という表現を使わない、という話を聞いたことがあります。
理由は人や職業に応じてなにが良い天気かは変わってくるからという理由だそうです。

それを初めて知ったときは、うっるさい、と思いました。

初めて会う人がたくさんいる飲み会。
最初は緊張しつつもお互いの出身地などを聞くうちにだんだんと打ち解けていく。

「お仕事は何をされてるんですか?」
「あ、傘の会社で営業してます」
「傘ですか。どんな種類の傘を扱ってるんですか?」
「ほとんどですよ。うちは傘しか作ってないので普通のからビニール傘、折り畳み傘に日傘もやってます」
「傘ばっかりだ!」
「そうなんですよ。だから天気予報で晴れの日に『今日は良い天気です』なんて言われるとがっくりきちゃうんです。うちにとっては雨が良い天気だから(笑)」
「あはははは!なるほどねー!」

お互いが少しのズレを楽しめればコミュニケーションはこんなに楽しい。
それでも少しのズレがストレスになってしまう人もいる。
数が少ないからって無視していいわけじゃない。
しかし想像力の働かせすぎは息苦しい潔癖な結果しか招かないのではないか…。
いやしかし…でもそれって…いやいや待てよ…。

高卒の自分の頭はこのことを考える度に熱を持って高速で空回りし、いつも通り答えが見つからないと見るやゆっくりと停止、犬みたいな純真な目に戻ってまだ食べてない昼飯のことを考えたり。

カーテンを開けると外は雨。
出かけるとき不便だから雨は嫌いです。

 

▲ブタジのガンバリヤ宮殿▲

今まさに雨が降ってるんですが、これを見てどう思うかなと考えてて、でも部屋にいる限り雨とは無関係なので外に出るとして、何が嫌かって靴が濡れて靴下までびしょ濡れになることですよね。その場合、長靴を履いたら全て解決する訳です。そうしたら私は雨が比較的好きだと思います。しかし、ちゃんと具体的に雨に打たれていることを想像できているかというと、まだ不完全だと思います。なので、もっとその状況を深く観察してみると、傘に当たる雨音とか、鞄の書類を駄目にしてしまった経験とか、洗濯が乾かないこととか、それだけでは雨が嫌いな要因にならないと思います。私は雨についてなんとも思っていないのかも知れません。どうでもいいという感じです。
このままでは、私がほとんどのことについてどうでもいいと思っていることがバレてしまうし、読み物として多少は面白いものが書きたいという気持ちがあるので、もっと雨のエピソードを探してみます。雨が降ると近所にカエルが出ます。雨の気配を感じるとすぐに出てくるようで、土色の大きめのカエルが道路に出てきます。夜道で外国人の人に「危ないよ!」と声を掛けられたことがあって、外国人の人って何でこんなにフレンドリーなんだろう(絶対そんなことはない、人によります)と思って足元を見たら、「カエル」と言われました。「うわーカエルじゃん!」と返した私も結構フレンドリーだったと思いますが、その後二人で車に轢かれない所まで連れて行ってあげました。あと高校の頃の先生がカエルが嫌いで、沢山嫌がらせをしてやった記憶があります。こんなもんでいいでしょうか?